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Posts from December 2007

SUITE ANGLOPHILE_RONDE ANGLAISE.

Basingstroke_canal

大英帝國ファン《part5》

【承前】ロンドンから鉄道とバスで3時間ほどはなれた自動車博物館を訪れたとき、おおまかなアクセスを電話で聞き出し、いきなり「初見」で臨んだ報いとして英国国鉄を降りたまでは順調でしたが、そのあとはツッカエヒッカエになりました。ぽつねんと田舎町のバス停で待っていると向かい側の歩道をディア・ハンティング帽(シャーロック・ホームズが愛用していたアレです)を被った、いかにも退役陸軍将校風の立派な紳士が歩いてきました。
遠方からワタクシの姿を視界に入れていたはず、にもかかわらず真向かいに達するや、やおら「お、これは!」という小芝居を打ち、直角に道路を横切り朗々たる正調英語で(あたりまえですが)「遠来の少年よ、いずこへ向かわれるか?」 帽子に手をかけての唐突な御下問であります。
「博物館まで」と答えると、道程を訊ねられ「それは、正しい選択ではあるが経由地点を変更すると早く着くやも」と助言をくださり「御安着を祈りますぞ」とニッコリ笑って去ってゆきました。
御親切に従い急遽変更した次の経由地からのバスは1時間に一本、折悪くも出たばかりでした。

ロンドンもパリも実はロシアのハバロフスクよりもっと北、サハリン(樺太)の真ん中あたりの高緯度帯に位置していますから一月のイングランドも午後3時、そろそろ暮れ始めました。
通りかかったタクシーを合図すると(日本と違って腕を水平に伸ばします)運転していたのはなかなかに上品な御婦人でした。
窓越しに目的地を告げると「ま~大変、すぐ戻ってくるからココで待ってて。いま定期契約している幼稚園児を迎えに行くところなの、いいこと?待っててよ、タクシーはこの町でこれ一台だからね」
20分ほどバス停で待っていると引き返してきて「さ、さ、急がなくちゃ」このあと博物館に着くまでの約半時間、気のいいミセス・モーガンは(いえナニ、「次に来るときはロンドンから電話で予約をしてね」と名刺をくれたのです)「のべつ幕なし」郷土の歴史、見るべきポイントなどをしゃべり続けました。

とっぷりと暮れた4時半に博物館に着くと入場券売り場の貴婦人風係員は一生懸命、お札の勘定しながら「あら、冬は4時に閉めちゃうの。どちらからいらしたの?」 ホテルのお気に入りバー・テンドレスには「パリから」と真っ赤なホントを言い続けたクセに、ここでは大仰に「極東の日本から」と真っ白なウソを告くと「お気の毒に、いいわ、私はあと30分ここにいるからその間に見ていらっしゃい」と入場料も受け取らず通用口から博物館に入れてくれました。そして子供の頃からあこがれていた国宝級のクラシックカーを警備員もいない展示館で独り占めにできたのはハンプシャー州BEAULIEUにある『国立自動車博物館』
でのおハナシです。

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SUITE ANGLOPHILE_MENUET.

Cofe_royal

大英帝國ファン《part4》

【承前】さて、昼は中華料理かインド料理で安直にすませるにしても「唯食史観者」の夜は「それなり」の食卓を求め渉猟します。

ピカデリー・サーカスにほど近いリーゼント街に四囲を圧するような門構えの今はなき大料亭Cafe Royalがありました、通りすがりに豪華で威厳充分なファサードに度肝を抜かれ足を止め眺めていましたが、「ここで夕食をとるのはどうだらふ? まさか、飛び込みじゃダメだよね?」としばし黙考(一人旅ですからあたりまえですが)したのち「ママよ」と近づくと、おそらく、その間抜けな姿を中から観察していたのでしょう、重厚なドアがスッと中に引き開けられ、すんなりとレセプションに招き入れられました。コートや手荷物を預けて食堂に案内されると、のちにJacqueline BISSET主演、美食コメディ映画"Who's Killing The Greatest Chef of Europe"のロケに使われたほどに荘厳・壮麗な内部に更に驚かされました。
後年、海外に出ると「その街のナンバーワン・レストラン征服」が習いとなりましたが、ついぞこのCafe Royal正餐室に匹敵する豪華な食堂には出会えません。

現在では長足の進歩をとげましたが、ちょっと昔の日本に於ける「高級な洋食」「ホテルのレストラン」などは、たとえ「フランス料理」を標榜していても基本はフランスから直接学んだものや取り入れたものではなく、あくまで亜流フランス料理にすぎず、実はすべてかつての日英同盟期直前に近代調理法の創始者である偉大なシェフ、オーギュスト・エスコフィエが確立した大英帝国帝都旅籠典範に準拠していたフシがあります。はじめてパリのミシュラン三つ星レストランに上がった時に「日本のフランス料理」と隔絶した超絶技巧と、あまりの調理法の先進性・素材の多様性に絶句したものですが、これが海峡を渡りますと一変し、素材こそ多彩ではありますが、調理法は東京の「ヨコメシ」をウンと高級にしたような直線上にある故に非常に理解し易く、また、おしなべてすばらしい味でした。
たとえば、現在はモダン・キュイズィーヌに変貌しましたが高名な海鮮料亭Scott'sの当時名物料理であったグラタンは、とびっきり上品なソースでたっぷりの伊勢エビと蟹を焼き上げますから味こそ「月スポ」なれど日本の「街の洋食屋さん」マカロニグラタンと見た目はさほど変わりませんし、Simpson's in-the-Strandの銀器で食すCurry on Ricesなども大傑作ではありますが、なんとなく「ロイヤル・ホストのジャワカレー」の本家本元を感じさせ、いかに英国が日本に与えた調理法(とくにカレーは)の影響が多大であることが実感できました。

Cafe Royalのサーヴィスもまた「完璧」の一語でした。
当時、続々と廃船になってゆく豪華客船勤務から陸に上がったイタリア系のヴェテランと思しき燕尾服の給仕達は威厳を醸し出しつつも(ギャルソンが「全員腰の低いパヴァロッティ」みたいなレストランを御想像あれ)典雅かつ華麗に振る舞い、食事中は「お客様が王様である」気分を存分に味わえせてもらいました。そして「お勘定」はファースト・コース、ワイン込みでup to5000円。     まさにグルメ天国でした。【つづく】

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PARRY:JERUSALEM. Suite Anglophile_Interlude.

「ジェルーサレム」 大英帝國ファン 《間奏曲》 

  • And did those feet in ancient time
    Walk upon England's mountains green?
    And was the Holy Lamb of God
    On England's pleasant pastures seen?
    And did the Countenance Divine
    Shine forth upon our clouded hills?
    And was Jerusalem builded here
    Among these dark satanic mills?


  • Bring me my bow of burning gold!
    Bring me my arrows of desire!
    Bring me my spear! O clouds unfold!
    Bring me my Chariot of fire!
    I will not cease from mental fight
    Nor shall my sword sleep in my hand
    Till we have built Jerusalem
    In England's green and pleasant land
    .


  • 古より踏み入りたるイングランドの緑の山々
    豊かなる草原に神聖なる子羊
    みどりの丘に顕現した神の啓示
    魔の侵略が迫るこの地は聖地なりや?


  • この地を芳しき緑の「聖地」と成すまでは
    炎のごとく馬車を駆り、
    輝く弓に希求の矢を番え、
    剣をおさめず、
    わが魂の錬磨やむことなし
    【PINK MOZART訳】

【2008年1月5日追記】
このたびクラシック音楽、とりわけ英国近・現代音楽とチェコ音楽のすばらしい御研究をされているM.M氏のHP文中へのリンクを御願いしたところ、御快諾とならびにJERUSALEM日本語表記についての御指摘を受けましたので訂正し、ここに衷心よりの謝意を表します。
 《M.M氏ホームページ》
 M.M's Classical Music Garden
   
6回目にはじめてクリスマスシーズンの英国を訪れた時に、TV中継される英国国教会のミサを眺めていますと参列者全員が司祭にうながされ起立し「ソラで」このJERUSALEMを歌い出したので驚き、慌てふためきました。
いや、ホント、たまげたな~ そんなまさか!
日本でも親しんでお気に入りでしたこの曲、てっきりEMERSON LAKE & PALMERプログレッシヴ・ロック・レパートリと誤解していましたから由緒を詳しく調べてみると「目から鱗」が落ちました。
詩はWilliam BLAKEの詩集”MILTON”(1804)序文から抽出したもので、メガ・ヒットした英国映画「炎のランナー」=原題"CHARIOT OF FIRE"の典拠でもあります。
(Chariotとは「ベン・ハー」の競技場レース・シーンで有名なローマ帝国時代に用いられた二輪戦闘用馬車)
作曲はSir Hubert Charles Hastings PARRY(1848-1918)
現在、もっとも好まれて演奏される版はSir Edward ELGAR編曲。
詩の内容からわかるように1916年、「あの戦争」=第一次世界大戦中に英国国民の戦意高揚のためにつくられた曲ですが英国国民にひろく愛され、紅白歌合戦エンディング「ホタ~ルのヒカ~リ」と同様BBCのプロムコンサートでは最後に全員で唱和する定番「英国准国歌」として親しまれています。
訳詩をずいぶんと渉猟してみたのですが日本語として「体を成していない」どころか全く「意味不明」なものばかりでした。
そこで"Je te veux"の日本語訳詩には諦観が先立ちましたが今回は「義勇感」に駆られ蛮勇を奮いおこしてみました。が、以前にも書いたように、わたくしのブログ記事ごときをいかなる「元ネタ」にもしないほうが「御身のため」であります。
曲もここは一丁、PINK MOZARTヴァージョンでお届けしようか?とも考えたのですが原曲にはかないません(sempleですが)ので素直にYoutubeでお楽しみください。

英國聯合國籏=UNION FLAG=UNION JACKの構成
Union_flag

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SUITE ANGLOPHILE_SARABANDE.

Photo_8737_20071110_2

大英帝國ファン《part3》

【承前】パリで暮らして一番閉口したのは食事のマズさでした。
もちろん、ミシュラン星付きレストランでは芸術的な至上の作品に出会えるのですが、そういうトコは「3つ星」ですと最低3週間前、「1つ星」でもせめて前日の予約が必要ですから「今日パリ着いて、いまホテル、おいしくて安いフランス料理の夕食に連れて行って~」なんて電話が突然かかってくるとほんとうに困りました。第一に「安くておいしい」これは日本語で「矛盾」だと中学校で習いました。高くてまずいレストランはいくらでもあるのですが…
(これを日本語で「普遍」と言う、と中学校で…)
「美味」となると御勘定の方も「それなり」にならざるを得ないんです。
それでも、きわめて親切なわたくしは友人たちの「フランス料理」に対する幻影や憧憬をブチこわさない為にも片っ端から電話をかけまくり食卓確保を強いられることになります。
まぁ、こういう場合の支払いは通訳・ガイド料として、たいてい向こう持ちですから「どうして一月前に連絡してこないのかしら?そうすりゃ。3つ星レストランで悠々と御相伴にあずかれるのに」と何度も地団駄ふみましたが、多かったですね「いま空港」やれ「いまどこどこのホテル」のパターン。
皆さんも、もしフランスに行く御予定があり、かつ「食事に興味がある」のでしたら現在では少なくとも2ヶ月前までにテーブル予約のEメールを出しておいた方がよいですよ。

さて、当日あまたの星付きレストランにあたって予約が取れない、となると意外にもパリでの外食事情はじつに悲惨です。お手持ちガイドブックにどう書いてあるかは存じませんが「フリで入れる」「予約が必要ない」レストランなんてのは「例外が無きにしも非ず」ではありますがどん底レヴェルの「ドングリの背くらべ」に他なりません。
ミシュランの基準を満たしたレストランですと「お気に召す:口に合う」があり、また日本では経験のない「お味」かもしれませんが調理技術が圧倒的に高いがゆえに万人にとって「おいしいと理解できる」お料理にありつくことが出来ますが、そんじょそこらのレストランに飛び込んだりしますと途方もない無法状態ですから、それはそれは「すい火加減・シオ加減・無味・過味」に慄然となります。(も一つ、馬のエサかと思われるほどの量に呆然)

これがロンドンでは状況が一変して「食のパラダイス」でした。
おもなヒンズー国の旧宗主国ですから、その国々から移住した人たちも多く「インド・パキスタン料理店」が星の数ほど巷にあふれていますし、それらのお店ではほとんど「あたりハズレ」なく本格的なカレー料理が安価に食せます。中華料理も同じ理由で中華街のどの店を選んでもソコソコの味で1000円以下で満腹になることができました。そういう気易いお店もたいへんに魅力的でしたが、それだけではありません、入店に盛装が要求される超高級レストランも・・・【つづく】

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SUITE ANGLOPHILE_ENTREE.


Tower_bridge

BRITISH MONARCHY英国王室公式サイト

大英帝國ファン《part2》

【承前】そのころの英国は労働党キャラハン政権の終末期で高福祉政策の負担から経済は不調をきわめ、いわゆる「英国病」も膏肓に入っていました。経費節減で洗車を全くされていない英国国鉄(現在は分割民営化)の窓は汚れで車窓の用を為さないほど曇っていましたし、ヨーロッパ大陸では見かけない鉄道に向けた看板広告がやたらと目につき、それらにはすべてTake Courage!=元気を出せ!/勇気を奮い起こせ!【注】の絵の無い文字プロパガンダが大書されていて、なにやら戦時の暗雲がたちこめているようでした。
それでもパリに較べて、ずいぶんと落ち着いた雰囲気のあるロンドンの街はなかなかに活発で街の人々も親切で朗らか、ま、これは初級以前のフランス語で「大苦戦」とはちがい英語が通じるせいもありますが、とても親しみやすい感じがしました。

もっとも、英国経済が「どん底」であることは即ち当時 THE HARDEST MONEYに成り上がっていた[YEN HOLDER]にとっては絶佳となります。諸事万端「目の玉が引っ込む」ほど安い物価に驚愕の連続でした。
空港であてがわれた南ケンシントン地区中級ホテルの料金が豊かな英国式朝食込みで5000円くらい。「目抜きの通り」であるREGENTストリートの真ん中にある壮麗なCafe Royalや下端にある今はなきモダンで豪華なレストランHunting Lodgeなども世情を反映し、いつもガラ空き、予約なしでも食事ができ、しかも、サーヴィスや厨房の質は厳格に堅持されていましたから王侯貴族のように傅かれシャンパーニュ正餐を摂っても日本の物価水準からするとゼロ一つ、付け忘れているような会計。
愛読していたシャーロック・ホームズに頻繁に出てくるので是非とも一度やってみたかった「一等車のコンパートメントに乗り込む」はロンドン・ポーツマス往復で千数百円。英国人は先客のいるコンパートメントには決して入りませんから定員6人の一等コンパートメントに常に一人ずつの乗客を乗せて運行していました。

この時期、悪名高い通貨12進法制はとっくに10進法に改まっていましたが、まだ旧制度のシリング硬貨が流通している時代でもありました。 とある、鄙びた村のYe Old Tea House(yeはtheの古語です)という茶屋でスコーンや焼き菓子にたっぷりと生クリームが添えられたアフタヌーン・ティーを喫したことがあります。
勘定を訊ねると"eighty pense, Sir." 80ペンスは当時の換算レートで140円ほどでしたから、ずいぶん安いと感動しポケットの小銭一掃を兼ね95ペンスを置いて去ろうとすると、女主人が顔をサッと紅潮させ(「顔がサッと紅潮する」が英国人の一大特徴です)駆け寄ってきました。あら、チップが足りなかったのかな?と後悔しましたが、そうではなく置いた硬貨を手にしながら「あなたは外国の方だからお金の種類がわからないのでしょう?いいですか、この2シリング貨はこの5ペンス貨2枚と同じ価値です、あなたの置いた5ペンスと18シリングはつまり合計95ペンスということになり…」と滔々たる通貨制度の講釈がはじまりました。アフタヌーン・ティーの代価"eighty pense"は「聞きマツガイ」で、なんと!"eighteen pense"=邦貨32円でした。【つづく】

【注】後年、英国人にこの話をすると檄爆笑=COURAGEはビールの銘柄
   「カレッジ・ビールを飲め!」のCM看板でした。

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SUITE ANGLOPHILE_PRELUDE.

Tower_of_london

エリザベス女王陛下のクリスマスメッセージ2007
THE ROYAL CHANNEL     英国王室公式YouTube

大英帝國ファン《part1》
【注=英国大使館発行文書の「イギリス」は不適切表現
→「英国」の表記を推奨←にしたがい本記事では国名を『英国』に統一しています】

今は昔、当時は現在とは違ってフランスに留学するに際して国内であらかじめVISAを取得する必要はなく現地で在学証明書さえ提出すれば簡単に滞在許可がもらえた時代でした。
10月4日に初入国し凱旋門から北北東に3㎞ほどの「セーヌ上流県」に部屋を借りてとっくに棲みついてはいたのですが、音楽学校にはまだ入学してはいませんから「観光目的」で滞在が許される期限3ヶ月でフランスを出国しなければなりませんでした。
理論上は地続きのベルギー、スイス、イタリア、ドイツなどの国境でパスポートを提示して徒歩で出国し、5分後に再びフランスへ再越境すれば法的には3ヶ月期限のリセットが成立するのでしょうが、陸路での出国や入国では形式上重要となる証明スタンプは押してもらえません。そうなるとパスポートに出国の証明がないことになり不法滞在者と見なされ、いざ滞在許可申請の段階で非常にヤヤっこしくなりますから、ここは一旦、空路でヨーロッパをはなれ大英帝国に渡ることにしました。

基本的に農業大国フランス人の朝は早いのですが、元旦の早朝、死んだように静かな街を離れロワジー空港の英国航空のカウンターでロンドンまでの往復切符を買い、ガラガラにすいている、かなりくたびれた年代物BAC111-TRIDENTに乗り込みました。
同機はリア・エンジンの3発ジェット機ですが真ん中の第2エンジンの上に付いている離昇時点火プースタ・ターボジェットエンジンの放つ「すンざましい咆哮」がピタリとやむと、すでにドーヴァー海峡上空。
機はレヴェルを保つ間もなく直ちに降下に入り離陸から30分ほどでロンドン・ヒースロー空港に着陸しました。

いよいよ日本と並び恐れられるほど厳重な入国管理です。フランスのVISAも取得せずに3ヶ月も滞在していて、かつ滞在延長目的の一時出国であることが係官には明白ですから10分間程ほど徹底的な審査を受けました。言葉遣いこそ丁寧ではありますが女性入国審査官の調査は峻烈なものでした。
『フランスでなにをしていましたか?』「観光」『どこに滞在していましたか?』「友人の家に」『英国にはあなたの友人がいますか?』「いいえ」『英国ではどこに滞在しますか?』「ロンドンのホテル」『どこのホテルですか?』「まだ決めていない」『まだ決めていない?』「ここの案内所で予約します」『滞在は何日間?』「一週間」『その資金をお持ちなのかを知りたいので所持金をすべて見せてください』
とうとう現金とトラヴェラーズ・チェックすべての提示を求められ、最後にブラックリストに照合して記載がないことを確認したのち、渋々と1ヶ月間の観光滞在が許可されました。

後年、同目的・同手段を使った同邦の方が何人も入国を拒否されて次便で突っ返されたのを知り驚きましたが、どうやら、わたくしの「人品まことに卑しからぬ」ことと英国航空の予約済み復航航空券所持が効を奏したようです。つづく

Visa1005

これが最初の入国許可査証。
『雇われたり雇うこと/いかなる就業もしないことを条件に英連邦に入国日から一ヶ月以内に出国されたし』以後2回渡英の度に厳しい入国審査を受けました。





Visa2006_2

4回目の入国審査でようやく獲得した『英連邦出国まで6ヶ月間・被雇用は禁止』の査証。5回目入国査証は単に『英連邦に6ヶ月間の滞在を認める』 それ以降はパスポートを一瞥されるのみで入国できました。

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DEBUSSY:PREMIERE ARABESQUE2.

Noel2

ドビュッシー:アラベスク第1番 version2

 
  Andantino con moto.
    E-A-E. 107bars [duration=3:42]
    SHUNJUSHA.DEBUSSY Piano Œuvres 1
    transcrit par PINK MOZART(2007)

ARCHIVES PINK MOZARTで4月27日に公開した作品
「アラベスク第1番」はわたくしの作品として本年最大のヒット作となり現在では全世界31ヶ国の方々にダウンロードされ親しまれています。
シンセサイザ音楽は寿命が短く、すぐに古くさく感じるようになるのが宿命、そこで御愛顧にお応えし最新音源のRe-Master/Re-Mix版を
お届けいたします。
GALERIE PINK MOZARTに時代背景の解説文を掲載中》

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DEBUSSY:DEUXIEME ARABESQUE2.

Noel1

ドビュッシー:アラベスク第2番 VERSION2

 
  Allegro scherzando.
     G. 3/4. 104bars [duration=3:51]
    SHUNJUSHA.DEBUSSY Piano Œuvres 1
    transcrit par PINK MOZART(2007)

4月20日に公開した作品を新音源で再製作いたしました。
この曲の時代背景についてGALERIE PINK MOZARTに抄文を掲載していますので御参照ください。

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GERSHWIN:IMPROMPTU in TWO KEYS.

Impromptu

ジョージ・ガーシュイン「複調性の即興曲」(1929)

 
      Moderato.
      C on Des. [duration=2:48]
      4/4. 66bars
      based upon downloaded free MIDI file
    (32bars) from www.d-score.com      
      transcrit par PINK MOZART(2007)

原題「複調性即興曲」=「2つの調の為の即興曲」→2つの調とは変ニ長調のコードの上でハ長調のメロディで開始されるところからつけられたのでしょう。
ガーシュインのオリジナルは1分程度のライトな2手ピアノ曲で1973年(没後36年)にはじめて出版された作品です。
年末進行で御多忙な皆様に向けPINK MOZARTより心ばかりの「エール」として製作いたしました。
がんばりましょう!

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EMERSON LAKE & PALMER:KNIFE EDGE.

エマーソン・レーク&パーマー 「ナイフ・エッジ」

エマーソン・レーク&パーマー(ELP)は1970年結成のプログレッシブ・グループ。メンバーは英国人:
Keith EMERSON(Key-Board)
Greg LAKE(Vocal & Base)
Carl PALMER(Drums)
世界ではじめてシンセサイザをステージ演奏で用いたグループとして歴史に名を残しています。
ELPのアルバムはクラッシック曲を原曲とするものが多く、彼らが取り上げた有名なものでは「アレグロ・バルバロ」「展覧会の絵」「ロメオとジュリエット」(Prokofieff)「キージェ中尉」「スキタイ組曲アラとロリー」などがあります。
なかでも、わたくしの好きでしたコープランドの組曲ロデオ「ホーダウン」ヒューバート・パリーの合唱曲「ジェルーサレム」は原曲を超えているのではないかと思われるすばらしさでレコードがすり切れるほど聴きました。
この「ナイフ・エッジ」は先週公開したレオシュ・ヤナーチェク作曲「シンフォニエッタ」第1楽章のAdaptationです。
キーボード奏者のキース・エマーソンが演奏している楽器は2台ともハモンドオルガン、左のハモンドの上に載せているのが初代MOOGです。当時のMOOGはとにかく動作が不安定なのでこの映像でも演奏中に調整に忙殺されています。途中で取り出すブレード状のものは「リボンコントローラ」といい金属箔上を指でなぞることによりシンセサイザの音程を制禦します。
演奏の最後にキース・エマーソンが右のハモンドオルガンを飛び越え裏に屈み、次に楽器を傾け、最後に急に放したりしていますが、これは単にパフォーマンスでやっているわけではなく裏に回り発振部に直接触れノイズを発生させ、ハモンドオルガンというものは電子楽器ではなく鍵盤分の歯車の回転により電気的に音を発振しますから傾斜により音質が変わります。またスプリングリヴァーブという内部機構に衝撃を与えることにより「爆発音」を得る等の演奏表現上の欲求に基づく一連の行動です。

■EMERSON LAKE & PALMER:WIKIPEDIA(日本語版)

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